2014年2月12日水曜日

Fatto a mano

Salve!

 Fatto a mano(ファット ア マーノ)とはハンドメイドという意味で、ここイタリアではよく耳にする言葉です。



 
 初めてス.ミズーラのスーツを注文するお客様や海外からお越しのお客様は、サルトリア内にある作業場に立ち寄り、ハンガーに掛かってある服を手に取り、手で縫われたボタンホール、ハンドステッチ、芯、生の服作りを見て"wow fantastic"と驚き、全てハンドメイド?と質問します。イタリア人の職人は" si, fatto a mano" と笑みを浮かべながら自信満々に答えます。 こうしたシーンを幾度と見てきました。このようにしてクラシコイタリアが世界に広まり世界の人たちに愛されているのです。

 長年イタリア人と働いていると、なぜこの国でハンドメイドの文化が廃れないのかよく見えてきます。彼らは長年使い込んでいる道具、昔ながらの縫製、アイロンワークそして彼らが個々に持っているスーツへのスタイル、考え方など、何十年ずっと変えることなく、むしろ、彼らは自信を持って大切にそれを守っています。日々の服作りの過程で生地、ディティ-ル、お客様の好みなどで少しの変化を入れますが、今まで手で縫っていた箇所をいきなりミシンで縫う事は絶対にあり得ない事です。ミシンで縫った方が時間短縮できるという事は彼らには関係のないことです。彼らにとって、そして今となっては私にも言えることですが、一つの習慣を変えるということは、多大なエネルーギーと時間が必要になります。それよりも目の前にある仕事を地道に手縫いでこなしていきます。
 
 そしてもう一つ彼らと働いていて感じた事、それは感性の豊かさです。レオナルドダヴィンチ、ミケランジェロではないですが、彼らは自分たちのことを"Artista"(アルティスタ)アーティストと呼びます。職人のおじさん達は皆、綺麗なラインをすごく愛しています。縫い目線、肩のライン、脇のシルエット、ラペル、襟のライン、フリーハンドで描かれるチャコのラインなどです。
 
 イタリア語で"Armonia"(アルモニーア)調和のとれた、ハーモニーという意味で彼らはよくこの言葉を使います。"Sarto"が求める調和のとれたライン、綺麗な曲線、特に肩のライン、袖付け、ラペルと襟などの箇所で表現される彼らのテクニックは、手でしっかり丁寧に縫われています。彼らが唯一自分の技術を人のアピールできるところです。日本人の自分にはあまり持っていなかった感性で、彼らのおかげで、今では彼らと同じ感性を持つ事ができました。
 
 私はイタリアに来る以前は関西の紳士服の工場で働いていました。そこで学んだ服作りとイタリアで学んだ服作りを比較してみました。日本では新しい裁断システム、CAD、特殊ミシンの導入、接着芯を使用します。それに対してイタリアの服作りはシンプルで、ただ、ものすごいスピードで手で縫われていきます。前見頃作りの工程のなかで生地、芯地、スレキ、物が3枚が重なっている箇所がたくさんあります。生地を曲げながら、上の2枚だけを針ですくっていく作業、丸みを出す為にするハ刺しなど、こういうかがり縫いの作業が服作りの約半分を占めています。裏地の中を見ると、芯、フェルト、肩パット、伸び止めテープ、手でかがられている箇所ばかりです。
 後は、シルクの糸を使ってのボタンホール、ラペル襟上のハンドステッチ、ポケットのD管抜き 胸ポケットのステッチなど、裏地は全て手でまつられています。服全体の90%は、手で縫われています。ジャケットだけでも30時間以上、パンツに10時間以上、さらに幾度かの仮縫い、スーツ一着に掛かる時間は相当なものです。イギリス、イタリア製の一流の生地で仕立てられたスーツの価格は一着約30万円以上にもなります。

 私もそうなのですが、一日の終わりに仕上げた服の出来に少しでも満足できないと自宅での夕食を美味しく食べれないという職人を沢山知っています。(イタリア人にも案外、デリケートなところがあります。)

 職人達は自分が満足いく服作りを常に心掛け、完成度の高い服をいつも仕立てます。職人達はこうしてミラノのサルトリアを長年支え、守ってきました。残念ながら、だんだん職人の数は減ってきています。12年間、色々な事を彼らから学びました。感謝の気持ちでいっぱいです。今後、自分が彼らに代わり若者達に、ミラノの服作りを伝えていきたいと思っています。


ミラノのサルト 井上 勇樹